強烈な個性を持つロック・ギターの革命児(イングヴェイ・マルムスティーン編:その1)

クラシックの音楽性をロックに取り込み、強烈な個性を持つことで知られるイングヴェイ・マルムスティーン。
彼は、エディ・ヴァン・ヘイレンと並び、80年代にロック界を席巻した速弾きギタリストの代表格でもあります。

バンド・スコア イングヴェイ・マルムスティーン・ベスト[ワイド版]

少年期はリッチー・ブラックモアに傾倒

1963年6月30日、スウェーデンのストックホルムで誕生したイングヴェイは、生家のある土地柄がクラシック音楽とのつながりが強かったせいもあって、幼少のころからピアノのレッスンを受けていました。
音楽教育に熱心だった彼の母は、ピアノ以外にもトランペットやクラシック・ギターを彼に買い与えますが、どうやら当時のイングヴェイにとって楽器演奏は退屈極まりないものだったようで、ほとんど興味を示すことはありませんでした。

そんな彼がギターに興味を持つようになったのは、1970年にジミ・ヘンドリックスのTV番組を見たことがきっかけでした。
ステージ上でギターをへし折った挙句に火をつけて燃やすという、あまりにもセンセーショナルなパフォーマンスを目の当たりにしてショックを受けたイングヴェイは、そこからエレキギターに強く興味を持つようになります。
さらにその2年後、9歳の誕生日に姉からディープ・パープルのアルバム「FIREBALL」(’71年)をプレゼントされたことで、彼のギターへの興味は本格化。

Fireball

このアルバムでリッチー・ブラックモアの演奏に衝撃を受けた彼は、「DEEP PURPLE IN ROCK」(’71年)、「MACHINE HEAD」(’72年)、「MADE IN JAPAN」(’72年)などに収録されているリッチーのコピーに没頭する日々に突入。
そのコピーの精度たるや、フレーズの細かい部分だけでなく、事によってはミス・トーンすらもコピーするほどであり、まさに完璧の一言だったそうです。

家族の影響でクラシック音楽に目覚める

また、イングヴェイがクラシックの音楽性に目覚めるきっかけとなったのも、家族が持っていたレコードでした。
当時、姉が所有していたジェネシスのアルバム「SELLING ENGLAND BY THE POUND」(’73年、邦題:月影の騎士)を耳にした彼は、ハーモニーの美しさに心を奪われます。

Selling England By the Pound

それと同時期に母のレコード・コレクションの中から何気なくチョイスした「チェンバロ協奏曲」にも強くインスパイアされ、この2つの音楽との出会いによってクラシックとロックを融合させたイングヴェイの音楽が構築されていくことになるのです。
この経緯を見ると、家族の存在によってギタリスト・イングヴェイが誕生したとも言えますね。

もう一つ、彼のクラシカルなプレイスタイルに関しては、二コラ・パガニーニの影響も書いておかなければなりません。
超技巧派と言われたヴァイオリニストのパガニーニは、「24の奇想曲」というヴァイオリン独奏曲を残しているのですが、この曲がイングヴェイのスウィープ・アルペジオ奏法の元になっているのです。
12、3歳の頃に「24の奇想曲」をラトビアのヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルが演奏する様子をTVで見た彼は、ジミヘンやディープ・パープル以上の衝撃を受け、その後の彼のプレイスタイルに大きな影響を与えることになります。

性格は超ワガママ

ところでイングヴェイは、ギターのプレイスタイルと共にその強烈な個性でも有名。
粗暴な振る舞いも多く、15歳の時には学校内をバイクで走り回るなどして退学処分を食らったりもしています。
この頃には初めてのバンド”パワーハウス”も結成していますが、このバンドはコピーが中心のバンドだったこともあり短期間で解散。
その後すぐに”ライジング・フォース”を結成するものの、イングヴェイのワガママぶりが災いして何と5年間で25回以上もメンバーを交代させる結果となります。
悪く言えばわがまま、良く言えば妥協を許さない彼の姿勢は、周りとの軋轢も少なからず生みだしていましたが、何よりもギタリストとして高い実力があったため、一目置かれる存在として知られるようになります。

アメリカでメジャー・デビュー

その高い実力には目を付けるプロのプロデューサーもおり、実際一度はライジング・フォースはスウェーデンでデビュー寸前まで行っています。
この時は結局話が流れてしまいますが、レコーディングされた曲は新しいギター・ヒーローの誕生を予感させ、関係者の間では有名な存在となっていきます。
そして、スウェーデンからイギリスに活動拠点を移したイングヴェイから送られてきたデモテープを聴いたシュラプネル・レコーズのマイク・ヴァーニー(マイクはギター誌に若手プレイヤーの紹介コラムを連載したりしていました。)は、「ソロ・アルバムを作らないか?」と彼を声を掛けるのです。
当然、この話に即座に乗ることにしたイングヴェイは、一路アメリカ・ロサンゼルスへと向かいます。

ミュージシャンとしての成功を信じて渡米したイングヴェイでしたが、ソロ・プロジェクトが組まれているはずが、何故か地元のメタルバンド”スティーラー”への参加という話にすり替わってしまっており、話が違うと立腹。
83年4月に一旦は同バンドでデビューするものの、5月のギグを最後に早々に脱退します。

Steeler

まあ妥協を許さないことで知られたイングヴェイですから、ここで言いくるめられて大人しくしているのも彼らしくない気もしますよね。
ともあれ、フリーになったイングヴェイですが、ほどなくして次のバンドのお誘いがかかります。
彼に声を掛けたのは、レインボーやマイケル・シェンカー・グループでボーカルを務めていたグラハム・ボネット。
イングヴェイはグラハム率いる”アルカトラス”への参加を決意し、1983年12月に1stアルバム「No Parole from Rock’n’roll」をリリース。

No Parole from Rock'n'roll

本格的にメジャーシーンでの活動をスタートさせたイングヴェイの破天荒な伝説が、ここから始まったのです。

ということで、今回はここまで。
アルカトラス以降の活動や彼の使用ギターなどについては(その2)に続きます!

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