ギター好きなら知っておきたい有名ギタリスト(エリック・クラプトン編:その1)

6歳でミュージシャンを志す

「スローハンド」や「神」とも呼ばれるエリック・クラプトンが、イギリスのサリー州リプレーに誕生したのは、1945年3月30日のことでした。
彼の母親はわずか16歳で彼を産んだのですが、クラプトンを産んですぐに別の男性と駆け落ちしてしまい、残されたクラプトンは、母親の両親である祖父母によって育てられました。

小学校の頃は鼓笛隊に入っていて、既に6歳の時はミュージシャンになる夢を持っていたそうで、やはり神様は音楽の道を歩み始めるのも早いですね。
10代に入ると祖父母に頼み込んでアコースティック・ギターを買ってもらい、クラプトンはギタリストとしての第一歩を踏み出します。

60年代の初め頃、イギリスはR&Bブームで盛り上がっており、そのムーブメントの中心的な存在であったアレクシス・コーナーに若きクラプトンは多大な影響を受けます。
アレクシス・コーナーのバンドは”ブルース・インコーポレイテッド”という名で、歴代のメンバーにはジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー、ミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズといった、後のビッグネーム達が名を連ねていました。

初めてのエレキギターはJAZZ II

コーナーの影響でエレクトリック楽器を使ったブルースに強く惹かれたクラプトンは、再び祖父母に頼み込んでKay(ケイ)というブランドのJAZZ II(K775)というギターを買ってもらいます。
このギターは、ダブルカッタウェイ・ボディのセミアコでビグスビーのトレモロユニットを装着しており、現在でもケイブランドで生産されています。

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Kay JAZZ II エレキギター

このJAZZ IIを相棒にして”ルースターズ”というバンドに初参加しますが、バンドは半年ほどで解散してしまいます。
その後はリバプールで活動を続けたクラプトンですが、1963年に友人であったキース・レルフがメインボーカルを務めるバンド”ヤードバーズ”に、二代目ギタリストとして迎えられることになります。

ヤードバーズへの加入そして脱退

ヤードバーズはクラプトンの後にもジェフ・ベックやジミー・ペイジがギタリストを務めたバンドであり、ギタリストたるもの、ヤードバーズを知らずしてエレキギターを語ることは出来ないと言って良いほどの伝説的な存在ですね。
ただ、クラプトン在籍時には、商業的なものを優先してポップ路線にしたいプロデューサーの方針と、純粋にブルースをやりたいクラプトンが対立し、シングル「For Your Love」(65年)のリリースをきっかけにしてクラプトンは脱退してしまいます。

”ブルース・ブレイカーズ”時代

この後、新しい活動の場を求めていたところに、ジョン・メイオールから声がかかり、”ブルース・ブレイカーズ”に参加。
これが結果として大正解でした。
66年にリリースされたデビューアルバム「BLUES BREAKERS JOHN MAYALL WITH ERIC CLAPTON」は歴史的名盤として知られ、このアルバムに収録されているレス・ポールとマーシャルアンプのコンビによる革命的なディストーションサウンドのおかげで、今のレス・ポールとマーシャルの地位が築かれたと言っても良いほどです。
つまり、ギブソン社とマーシャル社は、決してクラプトンに足を向けて寝れないんですね。

ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン<コンプリート・エディション><コンプリート・エディション>

このバンドでクラプトンは、まさに水を得た魚のごとく精力的に活動し、ヤードバーズ時代からの「スローハンド」というニックネームに加え、「神/ゴッド」とまで呼ばれるほどの人気を獲得するに至り、一躍ブリティッシュギタリストのトッププレイヤーとして一世を風靡します。

ちなみに「スローハンド」というニックネームは、指が速すぎて逆に止まって見えるからという説がありますが、これはどうやら誤りのようで、実際にはクラプトンがしょっちゅう演奏中に弦を切っていたため、弦を貼りなおしている間に、それを待っている観客がゆっくりと手拍子をしていたことに由来するそうです。

さあ、ブルース・ブレイカーズでトップに上り詰めたクラプトンですが、この後の事は(その2)に続きます!

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