80年代を代表するギター・カリスマ(エドワード・ヴァン・ヘイレン編:その1)

幼少期はピアノを習う

80年代のロック・シーンを代表するバンド、ヴァン・ヘイレンのギタリストでありリーダーでもあるエドワード・ヴァン・ヘイレンは、1955年1月26日にオランダで、オランダ人の父とインドネシア人の母との間に生まれました。
リード楽器奏者であった父は、息子をアカデミックなピアニストに育てたかったようで、幼少期より兄のアレックスとともにピアノのレッスンを受けます。

買ったドラムを兄に横取りされる

その後、エディが12歳の時に、一家はアメリカに移住。
その頃の音楽シーンは、ビートルズが絶大な人気を集めていた時期で、14歳になったエディもその影響でドラムをたたき始め、兄のアレックスもギターを始めています。
両親からお金を借りてドラム・セットを購入したエディは、そのお金を返すために新聞配達のアルバイトを頑張るのですが、なんとその隙にアレックスがエディのドラムをたたき始め、気が付けばアレックスの方がドラムが上手になっているというまさかの展開に。(笑)

憧れはクラプトン

兄にドラマーの座を奪われたエディは、渋々ギターを弾くことにしますが、仕方なく始めたにもかかわらず、すぐにギターの魅力に取りつかれるようになります。
当時の彼のギター・ヒーローは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ジミ・ヘンドリックスらであり、多くのギター少年達が憧れたビッグ・ネーム達に、エディも同じように憧れていたのです。
特にクラプトンへの憧れは強く、いつしかクラプトンのコピーはエディの十八番となっていました。

バンド”ヴァン・ヘイレン”の誕生

元々、ピアノを習っていたおかげで音楽理論は身についていたエディは、アレックスとのセッションを通して独自のプレイスタイルを構築し始め、兄と共に16歳でアマチュア・バンド(トロージャン・ラバー・カンパニー)を率いるようになります。
紆余曲折を経たのち、バンド名を”マンモス”とし、地元のロサンゼルスで高い人気を獲得。
マンモスのライバルであったレッド・ボール・ジェッツから、フロントマンのデイヴィット・リー・ロスを引き抜くなどし、1975年にはバンド名を”ヴァン・ヘイレン”に変更し、ここに80年代を代表する伝説のハード・ロック・バンドが誕生することになります。

当初はハリウッドのクラブを拠点にしながら、ディープ・パープルやキッス、ZZトップ、エアロスミスなどのカヴァー曲に、オリジナルの楽曲を織り交ぜると言うスタイルでライブ活動を行っていましたが、76年にキッスのジーン・シモンズから資金援助を受けてデモ・テープを制作し、プロデビューの道を模索し始めます。
ですが、大手のレコード会社からは、なかなかオファーが届かずに苦戦。

このままプロデビューの道が閉ざされてしまうかと思われましたが、1977年に突然ワーナー・ブラザースの社長であるモー・オースティンとプロデューサーのテッド・テンプルマンがクラブに現れ、24時間以内に契約することを要求してきます。
もちろん、ワーナーと契約することに何の異論もなかった彼らは、その場で契約を締結。
こうして、電撃的にヴァン・ヘイレンのデビューが決定します。

革新的なタッピング奏法に注目

そして78年にリリースされたデビュー・アルバム「VAN HALEN」(邦題:炎の導火線)は、150万枚を超えるヒットを記録。

ジャーニーやモントローズのライブのオープニングアクトを務めることでも知名度を上昇させ、セカンド・アルバム「VAN HALEN II」(邦題:伝説の爆撃機)は全米アルバム・チャート6位にランクインする大ヒット。
ハード・ロック系バンドとしては名実ともにトップの仲間入りを果たすことになります。

当時のヴァン・ヘイレンは、やはりエディの革命的とも言えるタッピング奏法に注目が集まりました。
今でこそ珍しくもなんともないタッピング奏法ですが、エディこそがロック・ギターにおけるタッピング奏法を世に広めたギタリストなのです。

このあと、エディはロック史に残る伝説的な活躍を見せることになりますが、その話は次回!

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