エレキギター弦のリーディングカンパニー(D’Addario(ダダリオ)編:その1)

弦の生産は新規参入しにくい

エレキギターは、ギブソン、フェンダーのような大メーカーから個人工房クラスの小さなものまで非常に沢山のメーカーが存在していますが、それに比べて直接音を出す媒体である弦に関してはメーカー数がかなり限られています。
これには色んな理由があると思いますが、一番大きいのは、弦というのは頻繁に交換する消耗品であるという点でしょう。
何度も交換する消耗品なので高価すぎるものは敬遠される、つまりそれなりに安くないと売れない。
それなりに安い価格の製品を販売して利益を出そうとすると、やはりある程度以上の生産量がないとコスト的に厳しいし、技術的ノウハウも必要となります。

そしてある程度以上の量の生産を行うには、それだけの規模の設備や人員が必要というということになります。
従って今の時代に弦の生産を行うには、個人工房クラスの資金力・技術力では難しく、結果的に昔から実績があって効率的に弦の生産を行える会社か、マーティンやヤマハのように弦以外に主力となる製品を生産していて、仮に弦部門が赤字になってもカバーできる体力のある会社などに絞られることになるのです。

ギターの弦は車のタイヤのようなもの

ギターの音を考える上で、直接音を発している弦はもちろん最重要クラスのパーツであるはずです。
ですが、現実には弦を作るメーカー数が多くなく、製品の種類も少なかったので、自然と弦の選択肢が狭まることになり、ギター本体のようにあれこれとこだわることが出来ないという実情がありました。
このあたりがもう何とも歯がゆいところで、私が高校生だった約30年ほど前なんかは、多分ダダリオとアーニーボールとヤマハくらいしか店に置いてなかったような気がしますよ。(笑)
自動車なんかもこれと少し似ていて、車体自体はトヨタや日産、ホンダなど国産メーカーに加えて、海外メーカーからも選べてよりどりみどりなのに比べて、タイヤはブリヂストンなどの数社しか選択肢がありませんよね。
やっぱりこれもタイヤが消耗品だということが大きいのでしょう。

しかし、近年では弦メーカー数も徐々に増えてきて、さらに各社の研究開発も進んで色んなギター弦が発売されるようになってきました。
つまり、ギター本体ほどじゃないけども、弦もだんだんとこだわりを持って選べるようになってきたのです。
ということで、今回からしばらくはエレキギター弦のブランドの歴史やラインナップについて少し掘り下げた記事を書いていきたいと思います。
まずは、業界の筆頭メーカー、ダダリオからスタート!

イタリアにルーツを持つ弦メーカーの老舗

ダダリオは、イタリアのサッレという小さな町の弦職人の家系がそのルーツになります。
1905年の大地震の影響でアメリカのニューヨーク州へと一家は移住したとメーカーサイトにはありますが、これに該当する1905年に起きたイタリアの大地震はカラブリア地震(M7.2)になると思われます。
カラブリア地震の震源地は長靴型のイタリア国土のつま先に近いところであり、イタリア中部にあるサッレからは直線距離で約400kmと結構離れていますので、地震によってサッレの町が壊滅的な被害を受けたのではなく、恐らく風評的なものや地震に対する恐怖感などが理由で移住したのではないでしょうか。
まあとにかくアメリカへ移住したダダリオ一家は、やはり新天地でも弦の製造を生業とし、1918年には後にダダリオ社の創設者となるチャールズ・ダダリオ氏が弦の生産に携わるようになります。
ただ当時は、豚や羊の腸を主原料としていたため、製品の安定性に欠けることが彼らの悩みの種でした。

DADDARIO ( ダダリオ ) / EXL110

D’ADDARIO&SON設立

そうこうしているうちに第二次世界大戦が始まり、チャールズ氏も兵役に就いたりして人手が不足し、ダダリオ家は女手も駆り出して弦の生産に当たります。
非常にバタバタした時期だったようですが、この頃にチャールズ氏は息子のジョン・ダダリオ・シニア氏と共同で「D’ADDARIO&SON」(ダダリオ&サン)という会社を立ち上げており、これが現在のダダリオ社へと繋がっていきます。
生き残るために色んな道を探っていたダダリオ社でしたが、そこに救世主のように現れたのが、世界的化学企業であるデュポン社。
デュポン社が開発したナイロンにより、弦業界は大きな転換点を迎えることになります。
チャールズ氏が1947年にデュポン社から取り寄せたナイロンのサンプルを使って弦を作ってみたところ、非常に弦として質が高く、音も安定していることがわかり、すぐさまナイロン弦の実用化に乗り出します。
そうして弦業界でトップクラスの実績を上げるようになったダダリオでしたが、会社の体制としてはまだ家族経営による小規模なものでした。

DADDARIO ( ダダリオ ) / EJ45

スチール弦の需要が高まる

1950年代に入ると、さらにそこへ大きな時代の変化が訪れます。
ダダリオが主力としていたナイロン弦は、ギター用としてはクラシック・ギター向けとして人気がありましたが、新たに誕生したロックンロールなどのポピュラー音楽の台頭により、スチール弦のほうへと需要が流れていったのです。
この流れに取り残されまいと、ジョン・シニア氏が父親のチャールズ氏の反対を押し切ってスチール弦の生産を行うアルカイック社を立ち上げます。
さらにチャールズ氏が引退した1962年にはダダリオ&サンとアルカイックを合併させ、ダルコ社として再編。
ダルコ社は業界初となる自動弦巻機の導入、ラウンドワウンド弦の開発等、他社よりも一歩抜きんでた技術力によって、業界の中でも一目置かれる存在として確固たる地位を築き上げます。

DADDARIO ( ダダリオ ) / NYXL1046

マーティン社に吸収合併

弦メーカーとして大きく成長したダルコ社でしたが、これに目を付けたのが、アコギの大メーカーであるマーティン社でした。
当時のマーティン社は大きく成長を続ける優良企業であり、事業拡大路線の一環として弦の生産にも乗り出そうとしたのです。
かくして1971年、マーティン社によってダルコ社は買収され、マーティン社は弦メーカーとしてもリーディングカンパニーとなります。
実は今でもマーティン製のギター弦のうち、エレキギター用の弦などにはダルコの名称が使われていますが、これは当時の名残を示すものという事になりますね。

MARTIN ( マーチン ) / D9300

5人での再出発

マーティンの傘下に入ったのは主に安定した資金調達や製品開発環境を求めてのことだったのですが、ダダリオ一家としては独立志向が強かったようで、1974年にはマーティンから離脱して現在のD’Addario&Companyを設立します。
この新しい会社は、なんとたった5人での再出発であり、一時は業界の頂点を極めた彼らが、いかに独立にこだわっていたかが良く分かりますね。
中心となったメンバーはジョン・ダダリオ・シニア氏に加え、息子のジョン・ジュニア氏とジェームス氏の三人でした。
彼らはそれまでにつちかったノウハウを生かし、すぐさま商売を軌道にのせ、10年後の1984年には150人の従業員を抱えるまでになります。
そして、エレキギター弦においてはアーニーボールと並ぶ二大メーカーとして君臨。
その後も順調に業績を伸ばし続けたダダリオ社は、現在では従業員を1000人近くも抱える大企業となっています。


今回は、ダダリオ社の歴史について書いてみました。
ダダリオの歴史についてはメーカーサイトでさらに詳しく書かれています。
「ダダリオ 歴史」で検索すればすぐに分かると思いますので、興味がある方はそちらも読んでみて下さい。
次回は、ダダリオ社の主な製品ラインナップについて書いてみたいと思います!

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする